「その名は希望」


おかしいな、と足立は思った。
自分はゲームを画策し、それを実行し、結果としては失敗した。
楽しんで続けていたはずの遊びは、鬱陶しい主張をひけらかす高校生たちに邪魔をされ、腹を立てて迎え撃ったものの、あえなく敗退。
だから、今自分が大の字になって、薄気味の悪い空間に横たわっているのは、当然のことなのだ。
シャドウという、得体の知れない物体に食われ、現実世界で死体となって発見される。
その予定だったし、そう言ったはずだった。
「そうはさせない」と食い下がった相手を見て、「面倒くさいなあ」と思ったのも覚えている。
だが、それは、あくまで自分ひとりの結果のはずだった。
それなのに、
「諦めて外に出てくれるといいんですけどね」
何故隣で、何処かわからぬ方向を見て、悠然と立っている当事者がいるのだろう。

「………ねえ、なんでここにいるわけ?」
「いつまでも居座れると、巻き込まれるかもしれないから」
「ちょっと、聞いてる? あのさあ、僕は一人でここで食われるって言ったのに、何で君がいるわけ?」
くだびれきった身体で、手足を持ち上げる気力もないまま、首だけ相手に向けて尋ねると、声をかけられた少年は、初めて足立の存在に気づいたように、視線だけを下ろす。


「足立さんと、心中しようと思って」


あっさりと、平然と言い放たれた言葉に、足立は眉根を寄せる。元々深かったしわが、ますます深くなる。口元は歪み、歯がぎりぎりとこすりあわされた。
「なんなのそれ? 君馬鹿なの?」
「足立さんほどじゃないと思いますけどね」
「冗談は他所でやってくれる? 僕さあ、こう見えてかなり疲れてるんだけど。疲労困憊で身体を起こす気力もないんだし」
「見ればわかりますよ。ペルソナを出しても、ボコボコに俺たちにやられたんだから、そりゃ死に掛けにもなるでしょう」
「………それ、嫌味?」
「まさか。本音です」
「余計最低だろ、それ………」

満身創痍の足立と比べ、少年は涼しい顔をしていた。服装も、髪の毛一つも乱れていない。戦いの間も、先の行動全てが読めているかのように、常に先手をうち、自身の傷は皆無だと言ってもいい。

ほんの少し前、足立と少年は敵対するものとして向かい合っていた。
足立の背後から現れる、黒いペルソナ。それから次々と放たれる黒い稲妻。
ありとあらゆる攻撃を、意にも介さず歩み寄り、驚愕と狼狽に目を見開いた足立のペルソナを見て、少年は静かに周りを制した。
「足立さんは俺に任せて、先に行ってくれないか」
穏やかな声に圧倒されたのか、一瞬息を呑む少年の仲間たち。
だがすぐに立ち直り、「そんなことはできるか」と詰め寄る幼い顔を一瞥すると、少年は口をつぐむ。
自分の顔にネクタイがひっかかったまま、どかす気力もない足立の視界に、ほんのわずかだけ見えた少年の口元は、見覚えがあった。
その表情が、全く自分のものと同じだと足立が気づいたのは、少年が真っ白な雷光を走らせ、世界と自分たちを分断してからだった。

足立は、額にひっかかった逆さまになったネクタイを、何とかずり下ろした。
赤と黒に彩られた得体の知れない世界に、銀色の髪を持った少年が立っている。
何処からどう見ても、完全に浮いている。

一人で食われるはずだったのに、何故か少年が居残った。
頼んでもいないのに、隣でぼんやり立っている。
何を考えているのか、全くわからない。
こんな奴だっただろうか、と振り返ってみるも、それほどよく知らないという結論に達する。
自分の上司の甥であり、何度も顔を合わせたことがある。一緒に食事をしたことすらある。他愛もない世間話をして、河川敷を歩き、スーパーのエントランスで出会い、嘔吐している姿すら見られたこともある。
それなのに、何故自分はこんなにも、真横に立っている少年の、何もかもがわからないのだろう。

「………あのさあ」
黙っているのもしゃくなので、足立は搾り出すように声を出した。
「はい」
閉じられた世界で、向こう側の仲間を心配することに飽きたのか、少年は首をくるりと向ける。何の迷いもない、自分のやったことを完璧にわかっている表情だった。
「あのさ、君、頭どうかしちゃったの? 元々マトモだとは思ってないけどさあ」
「俺は常にマトモですよ。というか、マトモじゃない筆頭の足立さんに言われるとは思わなかったな」
「マトモな人間が、僕と一緒に心中するって?」
「一応そのつもりなんですけど」
「うわ、ごめんだね。僕にだって相手を選ぶ権利があると思うんだけど」
「俺は散々選んだ挙句の結論なので、全く迷いなんてないんですけど」
「はあ?」
「足立さんは、異常で、人殺しで、愉快犯で、何一つ共感できるところもなくて、性格も悪いし、料理も上手いわけないし」
「失敬だな。僕は料理得意だよ」
「ジュネスでキャベツばっかり買い占める人間が、料理上手だとは思えません」
「言うなあ」
「俺は足立さんのこと、別に好きじゃありません」

さらり、と言ってのけて少年は笑った。
その笑顔に、足立は一瞬押し黙る。

「好きじゃない相手を、心中の相手に選んだの? なんなの、君。気持ち悪っ」
「でも、足立さんと俺には似てるところがあるから」
「はあー?」
「他人に、絶対利用されたくないところ」

何かがはじけた音がした。
足立の耳の下で、聞こえるはずのない地鳴りが聞こえる。
上も下も、空も地面もないはずなのに、少年は足立の横に腰を下ろして、天を見上げた。

「そろそろ、始まりそうですね」

この世界の崩壊を、当たり前のように受け入れて少年は足立に向かって言った。

「俺は何度も繰り返したんです。一度目は間違えて終わって、二度目は間違えなかったけれど、たどり着けずに終わって」

少年が何のことを言っているのか、足立には全くわからなかった。

「三度目はたどり着いて終わって。そこで俺は知った。全てを解決したところで、この街を救ったところで、大切な仲間たちを守ったところで、俺は―結局利用されて終わるんだと」

少年の声が、低く響く。足立の見たことのない顔をして、少年は足立を通り越した空間を見ていた。全く絡み合わない視線の先には、陽炎のように蠢く黒い影。

「それから、何度も繰り返した。例えば生田目が死んだら。事件を無視したら。足立さんを殺したら」

物騒な発言の先にも、足立はいない。
足立はここにいる。殺されたことなどない。自分でちゃんと知っている。こうして今現在、殺されかかっているのだから間違いない。
少年はおかしいのだ。
頭がおかしいから、言ってることも全ておかしい。
焦点がぴたり、とあった先に、足立ではなくその影を見据えていることも、全てが異常だった。

「俺が死んだら。色々なことを色々な時期にためした。色々な可能性を模索した。けれど、結局俺はあいつの手のひらから抜け出せない。あいつを倒したとしても、意味がない。俺には―利用されたという事実が残るだけ」
「………僕には、君の言いたいことが全くわからないよ」
「目が覚めると、俺は電車に座っている。そのままこの街に来なくても、結果は同じ。問題はこの街じゃない。外から来た大勢の人間でもない。問題は―俺が存在してしまっているということだ」
「ねえ、ちょっと。僕の話聞いてる?」
「だから、俺は選ぶことにした。俺のいない、初めての世界を」

引きずり出されるように、強引に足立のペルソナが開放される。内臓全てを持っていかれるような感覚に、消耗しきった足立は、無様に胃液を吐いた。
「うげえっ」
そんな様子を、瞬きもせずに少年は見つめる。黒い影はゆらゆらと揺れて、崩壊する世界に同調するかのように、奇妙な音を立てていた。
「ちょ、ちょっと、何する」
「耳鳴りみたいですね」
「おい! さっきから一体なんだ! わけのわからないことばかり言いやがって! お前が何しようが俺の知ったことじゃない! 今すぐここから出て行け!」
「足立さんの名前は、『虚無』」
「………なんだと?」

胃液を吐いた足立のすぐ目の前に、少年は顔を近づけてささやく。

「あいつが―俺たちに力を与えた存在が、そう言っていた。足立さんの名前は、虚無。生田目の名前は、絶望」
「………あいつ………?」
「そう。足立さんが言っていた―いや、違うな。これから言うかもしれない、『誰か』のこと」
「………………与えた、力?」
「そう、力。力だけなら問題ない。足立さんは楽しんだ。それも充分に。俺だって力だけなら堪能した。高揚感だって覚えてる。だけど」

少年の手が、足立のネクタイをぐい、とつかむ。
存外に強い力に、倒れていた身体ごと持ち上げられ、足立の喉が鳴る。
「ぐえっ」

「だが、それ以上は許さない。俺に干渉すること。俺に命令すること。俺を利用すること。何もかも全て俺は許さない。俺はね、足立さん。誰かのモノになるのが、反吐が出るほど嫌いなんだよ」

世界のほころびよりも、遥かに大きな音で、少年の背中が爆発する。
真っ白な影が、突如として現れる。
それは、足立の影とは似てはいたが、それよりももっと違う次元に存在しているかのように、巨大で、真白く、鷹揚だった。
自分との違いを、すぐさま理解した足立の目の前で、世界はどんどん滅びていく。白い影に呼応するかのように、それが少年の望みであるかのように。

「足立さんなら、我慢できましたか?」
「………………………」
「真実を知った今、我慢できますか? 自分が―他の誰かに勝手につけられた名前なん」
「許せるわけがないだろう」
足立が腕を振り払い、少年はネクタイを離した。
どさり、と自分の吐いた胃液の上に落下する。ぎらぎらと輝く目。噛み締める唇。口の端からにじんだ血は、戦いによってできたものではなかった。

足立の答えを聞き、少年は
「足立さんなら、そう言ってくれると思ってました」
何故か照れくさそうに笑った。

自分の欲望のままに遊ぶ。これはゲームだ。ルールを決めたのは自分。与えられた力を存分に使って、自分のやりたいようにやる。なりたいものになる。
ちょっとしたプレゼントだ。そう、与えられたおもちゃをどう使おうが、そんなものは自分の勝手。
だが、その力ではなく、力を持つ自分自身を駒だと言うのなら、利用しようと言うのなら、そんな力に意味はない。
顔面にたたきつけ、つばを吐きかけ、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせる自信がある。
「今すぐ消えろ。俺の目の前に、二度と姿を現すな」
足立は、少年の妄想が全て真実であると理解した。
突拍子もない話であっても、この力こそが意味不明なのだ。これ以上わからないことが増えたとしても、それこそどうでもいい。
問題は、とても不本意だが、少年が言ったとおり、自分を利用しようとした存在がいたということ。
足立透という名前の男に、虚無という役名をつけて、高みから見下ろしていた存在がいたということ。
その存在は、少年によって明らかにされ、何度も何度も自分自身で気づくことすらできずに、操られ続けていたということ。

そのどれもが、許せない。許せることではない。

「………あのさあ、一応聞いておくけど、君、僕を殺したの?」
「結構早い段階で試してみたんですけど、駄目でした」
「うっわ、酷い」
「俺は足立さんのことが好きじゃないですけど、でも、あいつに利用されている人間を、放っておくのも嫌だったし」
「だから殺したって?」
「救いたかったんです」
「物は言い様だね」
「救いたかった。この街を。仲間を。被害者全員。生田目だって。だけど―俺はもう、何度も何度も救ってきて、それでも俺が俺として存在できないのならば、もう、この世界は要らない」
「君さ、俺より悪人」

足立の軽口に、少年は今更気づいたのか、とでも言いたげに首をかしげる。

「足立さんに、生き残ってもらっては困るんです。因子が残ってしまうから。俺も含めて、全部の種を取り除くのが一番確実だと思うから」
「生田目は?」
「あの人は、ペルソナすら出せない人ですから。何処かそこいらの余所者と一緒です」
「そっか」
「だから足立さん、俺と一緒に消えてもらえますか? 俺と足立さんは対存在。同じペルソナを共有する同一な力の持ち主。その力が対消滅すれば、もう二度と、俺ではなく、俺たちは生まれない」
「………本当に、こりゃ、心中だ。しかも無理心中」
「すみません」
「あー冗談。冗談。無理、ではないから」
「そう言っていただけると、助かります。ちょっとは良心が痛むので」
「ちょ、今更ここまでぶっちゃけといて、良心とかってありえないでしょう、君」
「僕もそう思いましたよ。謎が解明されて、足立さんから来た手紙を読んだとき、ああ、この人いい人なんだな、って」

白い影に呼応するように、黒い影が膨張する。
白い影は、自らに追いつくのを待つかのように、黒い影を黙って見下ろしている。
その視線が、全く同じ位置に並んだ時、足立も、よっこいしょと掛け声をかけて、上半身を起こした。
胡坐をかいて座る少年。崩れ落ちそうな身体を支えて、やっと起き上がった足立。

「俺が望むのは、俺のいない世界。もう、二度と誰も、俺を利用しない世界。この街はまた過ぎる。きっと誰かが同じように力を与えられ、同じように行動するかもしれない。だけど、そこにはもう、俺はいない。だから、足立さん、貴方もいなくなる」

自らが消えること。
初めからなかったことになること。
それこそが少年の望みであり、世界の全てを凌駕して、存在そのものが異を唱えている。

俺に、触るなと。

足立は、くたびれた顔で笑った。実際にくたびれ果てているし、無駄に憤ったおかげで、身体の節々はますます痛む。スーツはボロボロ。ネクタイもしわだらけで、シャツには自分が吐いた胃液がこびりついている。
それでも、目の前が今までにないほど開けて見えた。
閉じたテレビの中よりも、何倍もこの少年の方が面白い。
言っていること、やっていること、強引なところ。
決して利用されてやるわけではない。この死は足立の意思でもあった。それでも、本当にわずかだが、思ったのだ。
こいつに利用されるなら、悪くない、と。

「あのさ、最後に一つだけ聞いておきたいんだけど」
「何ですか?」

融合と共に、融解し始めた二つのペルソナ。
世界が二人を中心に、どんどん閉じていく。

「消滅するのは痛くないですよ。大丈夫」
「あっそ。いや、そんなことじゃなくてさあ………」
「だから、何です? 早くしないと消えちゃいますよ」
「だからさ、君の名前」
「はい?」
「生田目が絶望で、僕が虚無。どっちもかなり笑えるんだけど。それならさ、君の名前はなんだったのかなーって思って」
「………………………」

少年は、初めて困った顔をした。
明らかにうろたえて、視線がさまよっている。

「君だけ知ってて、僕が知らないってのは、フェアじゃないよねえ」
「いいじゃないですか、俺の名前なんて」
「良くない。教えてくれないなら、僕ここで先に舌噛んで死ぬからね」
「性格悪いですね、足立さん」
「ねーいいじゃん。今生の別れにさ」

足立が取った、可愛くないおねだりポーズを受けて、少年は、苦虫を噛み潰したような顔で、搾り出すように言った。

「希望。俺の名前は『希望』です」

この世で、こんなにおかしいことは今までなかった。
足立はその名を聞いた途端、腹を抱えて笑い出した。涙も出た。声もかすれるほどに笑い、床を転がった。

「なるほど、なるほどねえ。君、最高」
「足立さんは、最低です」

世界は消滅し、二人は消え、ペルソナは無に還った。
その場所に残された最後のモノ。
それは、延々と響く、何処かの誰かの笑い声だった。


End。







余談。
どうして私はこういう方向にばかり進もうとするのか。何故可愛さ満載甘酸っぱい陽介のSSとか書けないんだ。それは私が穢れているからですねわかります。
足立の一人称は基本『僕』っぽいので、僕で統一してます。ああなっちゃってからは『俺』って言ってたような気がするんですが(返したために確認のしようがない)。
足立の口調とか、ちゃらんぽらんなんだけど微妙に一貫性がないっていうか、どうも掴みづらかったので「こんなん足立じゃねえ!」とお思いになるかもしれませんが、大丈夫、私も思います。
今回遊んでみて、非常に面白かったのですが、とにかく、主人公はドSだと、そればかりが印象に残ってしまったので、こんなことになってしまいました。主人公は別に、足立のことなんか好きでも嫌いでもないけど(眼中にない)同族嫌悪や、同族好意みたいな立ち位置で接する、唯一無二の誰にも取って代われない相手、っていうのは凄く萌えます。
切っても切れない間柄、って奴ですね!(多分違う)